櫛で解く

『♪ あなたに会いたくて〜会いたくて…』

 神社から駅までの道を歩いていると頭の中で聴こえた。昨日、1ヶ月ぶりに自分の家に帰ってきた。今朝は駅に向かう途中にある神社に立ち寄って「帰りました」と挨拶をしたところだった。

 大きな鳥居は珍しく石で建てられている。こじんまりとした拝所はこの門からは想像がつきにくい。堂々と重みを感じる本殿は小さいながらも屋根の作りに勢いがある。瓦は銅で出来ていて、年を重ねエメラルドグリーンの深みが増している。

 本殿は切石積の基壇上に向拝を設けている。向拝から本殿は水平に眺めるというよりも目線より少し高い所にある。そのせいからか落ち込んだ時にあそこへ立つと、必ず私の目線は上向きになる。自分に希望が持てる気がして好きだった。

 数年住んでいて度々立ち寄るってはいたが、私が立ち寄る時は本殿の扉は常に閉まっていた。それが今年の夏のある朝、立ち寄るとその扉が開かれていた。

 澄んだ晴れた空の元に開かれた本殿には沢山のお供えものが並んでいた。火伏せの神という事もあり柱や頭貫、長押には龍や鳳凰などの彫刻が施され、私はその彫刻に目を奪われた。

 今までそこにあったのはずなのに、私には全く見えていなかった光景…そこに光が差した。何か変わる気がした。時は流れるまま過ぎゆくものなんだと感じた。すぐそばに居ても気づけぬ君と私と一緒。

 

光が差すために私にで来ることとは…

 

 あの日から考えていた、『私ができる事』。8月に全国ツアーを終えた翔丸は夏フェスで相変わらず多忙な日々。時はただ流れていくものなのだなぁと感じていた中で私が彼にしてあげられること。

 

《時を止める》ために

 

 9月4日、ふたりの衝撃的な記念日が今年もやってくる。お互いが、お互いのことを思ってすれ違ってきた記念日。私は止めどなく流れるふたりの時を止めることにした。

『忙しい毎日を乗り越えるために癒される』を繰り返す日常は現状維持にはもってこい。ただそんな事を繰り返していたらいつまでも平行線のままの私たちなのであろう。

 交わうことのない二人は想い合うことしか出来ず、相手がずっこけても手を差し伸べられないでいた。

 

二人で《ずっこけごっこ

 

 つまずいては自分の足で起きあがること、それが『相手のためにできること』の鉄則。起き上がらなければゲームオーバーとシンプルかつ残酷。幾度か思った、気軽に人を頼れたらと。

 誰にも助けを求める事もできずに傷が癒えるのをひたすら待つ。これが出会ってから8年間続いているのが実情。周囲の人生が変わりゆく中、変われない私たちの生き方は癒しはあっても心が晴れ晴れすることはなかった。

 彼のウソ婚発表を真に受けた私は、見えないものが見える人に会いに行きたいと思った。人に頼らないと、砕けてしまった自分が散らばったままになってしまいそうで…

  ネット上で沢山の名前が上がる中、自分の過去の生き様をプロフィールに書いていた方がいた。決して輝かしいものではなく、真実を淡々と受け止めている文面は厳しくもあり悲しくもあり、読み終わった後の私の目からは涙が溢れていた。

 電話での予約受付のみであった。初めて声を聞いたときの印象は、あの文面そのままで落ち着きを感じた。ただ声に角がなかったことが意外であった。

 予約は3ヶ月先ということだった。それを聞いて世の中には私みたいに困った人が多いことに驚かされる。

 今までに友達に誘われて四柱推命やら姓名判断、手相には行ったことがあった。どれも面白半部の私にはそれなりのネタが満載で半信半疑で彼らの言葉を受け止めていた。

 信じる信じないは別として、私は自分に知らない自分のことを語る他人の言葉を聞くのをいつも楽しみにしていた。今回は別、私の心にそんな余裕はなかった。

 都心の真ん中。たくさんのビルが立ち並ぶ赤坂の一室。ひっそりと一澄さんは私を出迎えてくれた。

 見えないものが見える人とは、どこまで何が見えているのであろうか…そんな事を思いながら、どこからどこまでを話せば良いのか戸惑いながら勧められた席に座る。

 知らない人だから話せる事はある。話した後も干渉されないから話せるということがあるのかもしれない。この際、隠さず話そうと私は決心していた。今まで誰にも話したことのない馬鹿げた茶番を…

  質問も事情も説明していないのに席に着くといずみさんはふと息を呑んでゆっくり顔を上げ息をついた。「あなはた他の人との人生の道を歩みを始めようとしています」

 突如として発せられた言葉に意表を突かれた。私は素直に彼が発した言葉に納得しながら「やはりそうですか…私は他の人との幸せの道を選んでいますか」と、すらりと言葉が出ていた。

 そう答えながら向かい合う彼の目線を追う。私の後ろを見ていたけれど、そこには戸棚しかなかった。そんな私の姿を彼は滑稽にみていたことてあろう。

 ふたりの間で無言の時間が生まれた。私の頭の中は、『見えない世界の人に会って、何が聞きたかったんだ?』と問答が始まっていた。

 この《間》をつなぐために出た言葉はあまりにもヤボで自分でも驚いた。「その道を選んで私は幸せそうですか?」と。

 私は何を期待しているんだろう。自分が幸せであるとい《確証》が欲しいだけなのか??と呆れる。

 私が聞きたいのはそんな事じゃないだろう。と自分を責めていると、「悪くはありませんが、心持ち何かを引きずっていらっしゃるようです。いつもその事が釈然と喜びや幸せな気持ちを半減させてしまっているようです」とゆっくりした口調で答えてくれた。

「あの…変な話をします。会ったことも話した事もない相手で私の容姿も知りません、そんな人が私の事を『好き』になるということはありますか?」と霧の中で何かを掴ませるかの質問をした。

「あります」と、いずみさんははっきり答えた。そして「その方は現実に今この世に存在していらっしゃいますよね?」と続けた。

「存在はしているのですが、いつも画面の向こうなんです。相手は歌を歌っているのですが、

相手がつくる歌の中にいつも自分が居るような気がするんです」と、なんとも気狂いな勘違いなファンがいいそうなことを正直にいうしかなかった。

 すると「その方は芸能の方ですか?」と尋ねられ、アホな女だと思われるのを覚悟で「はい」と答える。

「手紙を書いたんです。歌を歌っているという事も初めは知らず、たまたま流れたラジオの録音の声を聞いて『気が合う』と感じたということを伝えたくて」と聞かれてもいないのに私は話していた。

 たった30分の持ち時間で私は何を得るのであろうか。問題の糸口すら曖昧な状態で、いずみさんは確信を得たことを言う。「『今のままでは』ふたりは一緒になる事はありません」

 翔丸との長年のやり取りの後だからこそ納得がいく返答だった。そして私は話をまとめるように言った。「そうでしょうね。そう思うからきっと私は他の人と家庭を作る道を今描いてしまっているのでしょうね。でも、その道を選んで家庭を作ったとしても私の心は釈然としない幸せの中という事ですかね」

 薄暗い部屋にはピッタリな結末。「生まれ変わってまた出会えばいいではないですか、88までいきた先に」と来世の話がいずみさんの口から飛び交う。「私は88歳まで生きるんですか…」と返事をしている私も私である。

 お坊さんに諭されているようだった。そして私はいずみさんに尋ねてみた。「いずみさんが私ならどうなさいますか?出会うことのできない相手を88歳まで好きでいるか、他の人との人生を選んで無難に生きるか?」

「前者です。」返事に秒もかからなかった。この方のように迷うことなく生きられたら清々しく日々を過ごせるにであろうか。

 いずみさんは羨ましげにこう続けた。「純愛じゃないですか」語ったその彼の目は穏やかな《夢》を見ているようだった。

 全てが図られていたかのようなタイミングで30分を知らせるタイマーがなった。ハッと現実に現実を見る。自分の心に答えが出せぬまま席を立ち一礼をしてお礼を言った。

 建物から出てすぐの所に公園があり、私は寒い空気の中で陽の光を感じながら携帯を手に「見えない世界が見える方に会ってきました。私たちは今のままでは今世で出会えないとのことです。そして私は88歳まで生かされるようです。」と読まれているのか読まれていないのかわからないDMで翔丸にありのままを報告をした。

 穏やかな陽だまりは何も問題がない人生のようだった。携帯のバイブが鳴る。まさかの翔丸からの返事かと思いきや、いずみさんからのお礼メールだった。

「本日は素敵なお客様にお会いできて、心の美しさに感動しました。また、お会いできることを楽しみにしております。ありがとうございました。(一澄)」

「ありがとうございました。少し考えてみます」とだけ返事をし、天色に澄んだ空を見上げる。

《適切な人生のパートナー》一コマ一コマの選択がある。どう私が進めるか、どう翔丸が進めるか、どう私たちを取り巻く環境が私たちを生かすか、アクションに対しての反応はあるのが人生… ごちゃごちゃしたことを空に投げた。

 進まないすごろくに小休憩、休日の公園に元気な子どもたちの声が響いていた。あれから何年経っただろうか、櫛でといてきた髪に爽やかな風が通り抜けて行く。