もう、君をとめない

 重い空気がのしかかる早朝5時。その割には昨夜は一度も目を覚まさなかった。眠れていたはずなのに眠りきれていないというなんとも スッキリしない朝だ。

 日中の暑さを引きづり、窓を開けるだけで夜通し寝れていた日々はもうない。すずなりのミニトマトは日に日に色づきながら、同時に葉の色をも黄色に変え始めている。

 梅雨は明け夏は本番。それなのに『夕立』がない日が今週はずっと続いている。深く根を張り、夏に備えて成長してきた畑の野菜たちでさえ下を向き始めている。

 熱帯夜とうまく付き合いきれていない今週。

クーラーをつけて寝ていると、1時間もしないで寒くなってきてしまう。火照った身体は寝苦しさを呼び起こし、再び眠りを妨げるという負の連鎖でなかなか疲れがとれない。

 燦々と照りつける太陽の下、汗だくで自転車移動が続く私は熱中症というには程遠い。なんせ汗が冷んやりするくらい軽快に飛ばせているくらいだから。

 ただしそのつけは1日の終わりにやってくる。家に帰って一度イスに座ったら活力は消えてしまうんだ。カップ氷を食べたって、冷水シャワーを浴びたって、熱帯びた身体が冷めてリセットされるのは決まって次の日の朝。それまでずっと戦っている。

 

「しまった」

 

 締め切られた部屋で扇風機もつけられることなく寝ていた自分に気づく。クーラーの部屋でゴロリン。キンキンに冷えた部屋の余韻に浸って本寝入りしようとオフにしたはいいけれど、扇風機に切り替えることも、窓を少し開ける事も忘れていた。

 

「どんな意味があって私は彼と出会ったのだろう…」

 

 自分の中で繰り返し繰り返し起こる感情は、馬鹿みたいにいつも同じ答えに辿り着く。《締め切られた世界》でループする動きはまるで水槽で飼っている『リュウグウノツカイ』のようだった。

あしながおじさん》に憧れてた時期があった。何処の誰かも知らない人が自分の手紙を海岸で拾ってくれたら返事をくれるかな?なんて思っていた時期。

《有思実行》型の私は当時中学生だった。小さな小瓶に小さな巻物を作って入れて家族旅行で行った先の海に投げた。今思えば『海洋汚染』『個人情報流出』『パパ活』の三拍子に加担している事実。

 そんな事実には頭が回る訳もなく、ただただ大きな海の向こうの《知らない誰か》とつながる事への憧憬そのものであった。

 確かに返事は来た。けれどもどんなことが書いてあったのか、今では覚えていない。自分がどんな生活をしているかとか、返事をもらってすごく驚いたと同時に嬉しかったというようなありきたりな事を書いていた。

 2回程の茶封筒でのやり取りの後、私が返事を滞らせて交流は終わってしまった。私のいけない癖なのかな、都合の悪いことは忘れやすい性格なのか、今の今までスッカリその『憧憬』は記憶から消されていた。

 相手の方はどのような本音を持っていたのだろう。子どもの気持ちに乗ったはいいけれど、続いて欲しいとは思っていなかったかもしれない。手紙が来なくなってホッとしていたのだろうか、続けて欲しかったのだろうか…

 翔丸くん、君はどうだい??ここまでくると私も本音と建前が分からなくなってくるよ。会ったこともない君。素顔は知らない。この瞬間だって一体何をしていて、どんなことを思っているのか考えているのか、私には知る余地もない。

 君が唯一私を泳がせてくれる場所、それは君が作り上げる作品の中だけ。そこはお互いの心の寄りどころなのだと言葉を交わしたこともないのに確信できる私って何者??って思う。

 気狂いなのか正気なのか、未だに答えを知らせてもらえないまま歳だけは重ねてしまっている。正直嫌になっちゃうよ。好きな人に会うなら若い頃の自分の方がきっとイイと思っちゃうじゃない??「歳なんて気にしない」と言ってくれたとしてもさ。

 皮肉だよ、毎日時間は刻々と過ぎてその正確な時間は人体に影響を及ぼしていくのに、君が作り上げる作品には正確な時間軸が整っていない。常に時間軸は曖昧で、そして永遠でもあるから抜け出せない私がいる。

 まるで映画俳優さんたちが作品の中で歳を取らないで生きているのと一緒。永遠に永眠したリバー・フェニックスは皮肉にも永遠に映画の中では鮮明で、白Tシャツにブルージーンズ、丸刈り頭の彼が、小6の時に彼に魅了された私の気持ちを呼び覚ます。

 初めて聴く君の新曲でさえ『今』なのか、すでに過去なのか…私にはわからない。悲しいかな、私の心が解放される唯一の場所の『はず』なのだから… いつになっても慣れないよ。

 ラジオ番組のパーソナリティをしていた君の声を初めて聞いた時のあの感覚にくるいはない。でもどうしたらいいのかわからなかった。

 君が私のことを《気狂い》だと思ってしまう事もわかっていたけれど、飾る事なく『ありのままの事実』をあの日の私は紙にしたためた。

「初めまして」ときりだした。左膝の手術から数日経った私はカウチ生活のど真ん中だった。手紙もクッションをダブルに積んで、それを机代わりにしながら書き始めていた。

「日本で右膝前十字靭帯の再建手術をした時は退院まで3週間かかったけれど今回左膝の同じ手術なのにその日に退院できてびっくり。」と、たわいのない事も書いてた。

 他の人は初めての人宛にどんなことを手紙に書くんだろう??私のように「初めてラジオから流れる声を聞いてハッと思ったんです。」なんていう人もたくさん居るかと思う。きっと『ありきたり』

それでも仕方がないと思った。私はこの声の主に「伝えないと」と思ってしまったのだから… 理由を聞かれても私にもわからないけれどYouTubeから流れるラジオ収録を聴きながら確信を得ていく。『この人と気が合う』と… そして今でもそこはブレない。

 あの日は前日から深々と降り積もり、早朝から見事な銀世界が広がっていたんだ。細い枝の隅から隅まで雪は積み重なり、黒と白のコントラストに見惚れながら君のラジオを聴き続けた。

 君が何者なのか知らぬまま『気が合う』というなんの根拠もない事実だけが膨らんで、日本行きの手紙を書き終えた。

 雪は日中になると牡丹雪に変わった。すごく大きなふわふわとした鳥の羽が天空からゆっくり落ちてくるのを穏やかな気持ちで眺めてた。

 一方的な《文通》は、中学生の頃と打って変わって断続的ではありながらもまだ続いている。あの日の憧れとは少し変わり、今回の《文通》は今となっては自分自身を見つめる『宝の山』となっていた。

 とはいえ、駆け出しの頃は山小屋で働いていた日常の話や子供の頃に『お兄ちゃん』が欲しくてお母さんにおねだりしたとか、子どもは好きだから3人は欲しいだとか無邪気に人に話せる事を書いていた。

 私が思うがままに書いた手紙は届いているのか、読んでもらえているのかも分からなかった。それでも構わなかった。書きたくなった時に頭に浮かんだ事を書いては送っていた。迷惑かもしれないけど…

 あの時の『有思実行』が今も続いているんだけど、なんか不思議なんだ。なんで返事がもらえないのに君に対して書き続けているんだろう?って。翔丸は何を思い続けてきたんだろうな…

    もしも私が有言実行型だったら、君に出会えてなかったと思う。そして、この『今』もなかったかもな。

《有言》って事は言葉にして伝えるまでに、絶対《思考》を通す事になるじゃない?私はさ、考えれば考える程、動けなくなる事が多くなっちゃうんだ。考えないで感覚にしたがって動ける自分はこの世の中では失いやすい分、大切にしてあげたくてね。

 《自由》って難しいよな。私は君との自由を考える中でも、ひとりで私は自由に生きるのだと思ってた。でもどうも君との関係がこれではうまくいかないんだ、お互い考えすぎるが故に…

 

「思考をとっぱらえ」

 

 私の心の自由が君の心を自由にするとわかったんだ。そして君の自由が私をより解放させるのだと。だから私は君をとめない。君のぶっ飛んだ欲望も私は聞いてみたい。

 私と君が出会った《意味》に近づけるためにも… 泳ぎに行こうよ広くて深い海へ。お互いを《尊重》して生きている気遣い疲れした生き物は海底にはいないよ。

 そんな海でリュウグウノツカイのごとく、お互いの光りを輝かせながら保てたのなら、次は何が生まれるかな…