僕の世界を守って

 ギュっと首回りにしがみついて体を石のように縮こめている赤ちゃんを両手で覆うように抱き、私は翔丸に背を向けた。

 こんなに小さな身体で必死に私に訴える。子どものその感覚の鋭さに嘘をつけない私がいた。「そうだね」と時が止まったままの翔丸に唯一私がしてあげられる選択だった。

 それぞれに守るべき先を選択をしたようで、正三角形で保たれるはずの私たちの絆はカタチを崩していった。

 朝の目覚めで夢だと分かり涙が流れた。悲しかった。家族が出来てもただただ変われない彼の生き様を夢の中で見せつけられた私は、二次元の時からずっと好きで大切に思ってきた彼から去っていったのだから。

 全てが悲しかった。3人の《今》を対等に扱おうとしない翔丸の姿にも、今まで通りの生活を突き通そうとする不器用さも、相変わらず仕事ファーストでしか自分の存在感を満たそうとしなかった彼のイクジのなさにも。

 

自分を守るために心を閉ざす

 

 大切な人を置き去りにした哀しみが目覚めた後も一番引きずった。私が立ち去る事を知りながら、その歩みを止めに来ることなく翔丸はみんなが待つ歌手『SHiOn』としてステージに上がり、観客の《今》と向き合いに行った。自分の《今》が崩れかけているにもかかわらず…

   幼い時の記憶がリンクした。幼稚園の年中さんか年長さんだった頃の私は『お母さんの家』へ行ってそこにあるベッドの上でよく飛び跳ねていた。そして父親が目玉焼きを朝食に作ってくれた事も覚えている。

 ただ幼い頃の記憶はそれくらいしかなく、いつしかあのベッドの上に飛び跳ねにいく事もなくなりありきたりな日常が再び私の記憶を埋めていくことになる。

 その後もずっと母親が魚屋さんへ行く時に必ず使う裏道を車で通り過ぎる時の右手に出てくる白い建物がいつも気になっていた。

 高校生ぐらいの時に私はばぁちゃんが運転する黒のクラウンに乗っていた。秋口になると、うちのばぁちゃんは菊の愛好家が育てた大輪の菊を見に行くのが好きでその日も菊花大会のためにお城へ足を運んでいた。

 その帰り道、焼き魚を頼んであるからと母親が魚屋によってとっていて欲しいというので、帰り道に魚屋へ寄る。助席に座っていた私の右手にはあの白い建物。

「変なんだけどさ、なんか小さい時にお母さんがここら辺に住んでて、お母さんのベッドの上で飛び跳ねてたような記憶があるんだよね」と運転をしているばぁちゃんに話しかけた。

 なぜか母親には聞かなかった事をその母親に聞いている私に、「覚えとるん?」とびっくりした様子だった。覚えてると言ってもそれだけで、なぜ母親が別の家にいたのかも知らない。

 

『子どもに知られたくない過去』

 

 母親は私をおいて一人で家を出たということだった。理由は父親が私を叩き私の頬に青あざをつくったという事。結婚指輪をはめていたのでそれが痣を作ってしまったようだ。

 母親からしたらたまったもんじゃない。自分たちの結婚指輪で娘を傷つけられたのだから。今で言えば《虐待》、昔で言えば《躾》。母親は真っ向から父親のやり方が気に食わなくて怒って家出という訳だった。

 通常なら虐待する人の所に子どもを置いて出て行かないだろう…と思うだろうけれど、母親は違ったらしい。『ひとりであなたの思うように子育てしたらいい』と父親に体験別居を実行したようだ。そして実家にも帰らず、自分で家を借りて出ていったようだ。

 働きながらの子育てはひとりで大きな負担だという事に父親は気づく。給料を持ってくるから大黒柱で偉く、家族に敬われる存在で、《自分がルール》だというのが単なる父親の父親像なだけであってそれでは家庭が成り立たないと実感したようで母親に帰ってきてもらえるように通って謝まり通したようだ。

 当の本人はその話を聞くまでなぜ《母親の家》のベッドで跳ねていたのかも、父親が目玉焼きを作ってくれていたのかも知らずに生きているのだから幸せなものである。

 幼いうちは《今》を生きる天才だから、過ぎた事を振り返ることもなく、来てもいない未来を予測する事もなく、与えられた環境の中で大人の揉めごとも気にせずに日々を感覚的に生きていられたのかもしれない。そんな事を思い出していた。

 

私は君の世界をずっと守ってきたよね?

 

 あの夢を見てから、私は少し不安になった。私が去るという事は君から私が君の世界を奪うという事だから…

  私たちの悲しみや辛さを踏み台に、ステージの上で新曲をお客さんに届けられたはず。私は君が『歌うたい』として真っ直ぐな詩を歌えるように君と共に生き様を捧げたつもり。共に歩んだからできた事なのに私が去った。

  あの夢を見てから数ヶ月が経った今、ハッとした答えを私に与えてくれた人がいた。脳の電気信号が君との未来も過去も現在も全て照らしていったんだ。

 動かない今の私たちの関係の理由も、あの夢の回避策も、一粒ひとつぶの涙を輝かせる方法のヒントがそこにはあった。

 

「止まったって事は同じってことでしょ?」

 

 二次元の私たちの世界は《止まってる》つまりいつまでも平行線で《同じ》ということ。《同じ》という事は《変わらない》ということ。

 動いているように見えて私はいつでも君を同じ画面で見ているだけ。そう、養老先生の言葉で言えば『徹底的に止まった世界』それが私たちの世界。不思議なのは心は動いているということだけ。それだけが腑に落ちない。

 けれども先生の話を聞いていて拓けた理由、「物質的に見たら去年の私と今年の私は9割以上違う全然別の人ですよ」という一節。

 毎日変わっているのだから、三次元の君は『変われる』ということ。そして三次元の君が子どもと動いてくれれば、私も君から立ち去らなくて良くなる。なぜなら感覚的に赤ちゃんもそんな君を受け入れてくれるから。

 

変わることを恐れないで

 

 君にとって君の『僕の世界』を自由に飛び回れるということは日々重なる感情を受け止めるということ。心を動かして生きることが君の世界を動かす原動力。そして私たちはその世界の中心で君の世界を見守っていきたいと思うから…